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-誕生からの秘話-   洋食だんらんや     



<誕生>
洋食だんらんやは2006年9月28日オープンいたしました。しかし、お店の歴史はそれよりさらに、1993年12月9日までさかのぼります。某FCチェーンのファミリーレストラン(FR)として、まだFRの少なかった北陸に誕生しました。少し小洒落た店舗は、オープンから連日大勢のお客様で賑わいましたが、当の私自身は、学生時代のアルバイトも含め、この様な飲食業とは一切縁がなく、私自身の飲食に対するイメージは、軟派な代名詞のように考えておりました。そんな中で、30代半ばに初めて携わった飲食の世界は、目にするものすべてが驚きの連続で、オープンから毎日が目のまわるような忙しさの中で、単純に新鮮で楽しい日々が続いておりました。人様からは『繁盛してますね』などと言われても、ただただ忙しく仕事をする毎日で、何が良いのか悪いのかすらも判らないまま営業をしておりました。



<2号店開店>
毎日忙しい中でも、当初より店舗展開することが事業だと考えておりましたので、わずか1年半で2号店をオープン!起業の翌々年、8月29日に開店の運びとなり、オープンのTVCMや販促チラシの効果もあって、1号店も大盛況、8月、9月の2ヶ月は空前の利益、当時の全店店長会議(全50数店舗)では、売上順で店長が着席する慣わしとなっていましたので、会議では当社2店舗の店長がなんと、「ワンツーフィニッシュ」。会議の後方で、トップに並んで座っている店長2人を前に、私はオーナーとして鼻高々!!でも、天狗の鼻はすぐに折れるものです。


<ここからが転落の軌跡>
良いことなんてそうそう長くは続きません。オープンから3ヶ月以降は売上がじりじり下がりここからが苦難の連続・・・。それでも必死で何とか立て直すべく6〜7年頑張っていました。そんな折にひょんなきっかけからラーメン店をやることに・・・。これがまた、オープンから爆発的な大ヒット、50席の店に、月間1万5千人超のお客様が押し寄せてんてこ舞い。ところがこれも3ヶ月で見事に急降下、赤字垂れ流しの状況に終止符を打つべく、わずか3年で閉店の運びとなってしまいました。さらにその半年後には2号店も不動産ともども売却へ。


<洋食だんらんやの船出>
三つの店舗の借金を背負いながら一店舗での再起は予想以上に大変で、そんな中でFCチェーンを離れ「洋食だんらんや」は大しけの荒波に船出をいたしました。だんらんやは、お客様が自分の家でくつろぐように、ホッとする場を提供できればとネーミングしましたが、肝心の私自身は、だんらんやに衣替えした6ヶ月が少し調子良かっただけで、あとは「だんらん」どころではなく、重い肩の荷を背負いながら、毎日悪戦苦闘しておりました。営業が厳しい状況から、いろいろなコンサルタントや、果ては霊感占いの先生にまで見てもらいましたが、最後にお世話になった再建のプロの先生には、「もう法的再建のタイミングは遅いので無理ですよ」と、つまり倒産もできないということを言われ、仕方なく夫婦2人で2人3脚、へこたれそうになりながらもここまで来ました。古い唄ですが、水前寺清子の「ボロは着てても心は錦」と自分に言い聞かせながら、でもお金は本当になくても希望や夢を追いかけて来ました。かなり以前に、ある飲食店経営者が、「飲食業は金はなくても食うに困らない」などと言って、その時の私は、そんな事業などあるものか!と思っておりましたが、まさかその状況に自分がなろうなどとは思いもよらないことでした


<家族>
私には子供が4人、みんな学生時代には全員苦しい時に手伝ってくれ、親の七光りとは全く縁のない子供たちですが、今はみんな好きな生き方をたくましく(?)送っているようです。私たち夫婦は、もう30年飽きもせず(?)連れ添っています。最初の出会いは、私鉄の某ターミナルで私が2時間待たされてからスタート。でも、苦しい時も家族に笑いが絶えないことが二人の自慢かも知れません。それは、私が一番最初の出会いで一番に感じたこと・・・。



<知人>
30代40代と突っ走ってきて、当時は忙しいことをいいことに、友人知人が尋ねてきてくれてもなかなか会うチャンスがなかったり、あまりそのことに意識することなく過ごしておりました。今、50代になり、しかも朝から晩まで店に居ると、自然と人が来てくれるとうれしくなり、歓待してしまいます。そして同級生が、いろいろと心配してくれたり、力になってくれたり、また会いに来てくれたりと、そんなことが妙にうれしく、またそのことに感謝することが多くなってきたように感じます。忙しかった以前ですと、そのことにもなかなか気づけずじまいで、今この年になって遅まきながら気づかされているようです。


<最後に
ここまで読んでいただいた方は、「なんだ、自業自得の話じゃないか!」と思われるかも知れません。私の借金はちなみに完済までこのままのペースですと、後100年以上はかかりますが、今それでも普通に生活をすることが出来るのも、大勢の皆さん(お客様や、支えになってくれる方々)が居てくださるからこそです。私は当初、「身を粉にして働く」ことが必要なビジネスなど、「自分は絶対いやだ!」と考えておりました。そして、事業を拡大して行くことこそが、ビジネスの醍醐味であり、本質だと思っていましたが、そんな私が今は、朝から深夜まで365日(だんらんやは年中無休です!)「身を粉にして」働いています。神様は私に、自分や、家族のために、また、他人様のために一所懸命働くことがなぜ大切なのかを諭すために、この様な経験をさせてくれたのだと、最近思っています。

洋食だんらんや物語は、これからもまだまだ続きます・・・






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